BIOGRAPHY

L → R TAKU / 嵐 / 翔 / Johnny
1979年9月21日、『THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL』略称『T.C.R.横浜銀蝿R.S.』として嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)、TAKU(Ba)により正式結成。
シングル『横須賀Baby』、アルバム『ぶっちぎり』でデビューし、その後テレビ、ラジオ、ライブ等の音楽活動だけでなく、映画・ドラマに出演するなど活動の場を広げ、わずか2年で当時ミュージシャンの誰もが憧れた日本武道館コンサートを成功させ、日本レコード大賞特別賞を受賞するなど、日本全国に横浜銀蝿の名を轟かせ、その1年後“It’s Only Rock’n Roll 集会ファイナルカウントダウン10”コンサートにて活動を終了した。その独特のスタイルで衝撃デビューし、時代をぶっちぎった横浜銀蝿は数千万のファンに惜しまれながらも頂点に立ったままスピード解散し伝説のバンドとなった。その後、翔はソロアーティストとして、TAKU・嵐・Johnnyはプロデューサーとして、メンバーそれぞれは活動の場を広げていった。
そして1998年1月1日、バンド名を『横浜銀蝿』と改めシングル『RUNNING DOG』、アルバム『ぶっちぎりVII』をリリースし全国ツアーを行う(Johnnyは不参加)。その間、リーダーの嵐はレコード会社『シルバーレコード株式会社』を設立。
2002年夏には一旦解散。夏季限定バンド『湘南銀蝿』を結成し、シングル『渚のC.C.C.』を発売。9月22日には『湘南銀蝿』を解散し『THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS』として再度復活。
2004年、嵐が脳梗塞で倒れる(現在はリハビリ中ながらコンサート等では必ず顔を出し、ファンの前で元気な姿を見せている)。翔・TAKUに加え、リードギターのJack、ドラムのAtsushiを迎え活動。2006年、25周年を祝して横浜BLITZで記念コンサートを行った。2007年、銀蝿トリビュートバンドLIVE『横浜銀蝿 FESTIVAL』を開催。2010年に結成30周年を迎え、原点回帰をうたいデビュー時初コンサートを行った横浜市教育会館での前夜祭ライブを二日間にわたり行い、後にLive DVDとしてリリース。2015年は35周年に向け、9月21日には十数年ぶりに新曲を収録したCDを発売。2016年、横浜銀蝿デビュー35周年記念そしてリーダー嵐の還暦祝いとして、嵐ヨシユキ60年の生涯を歌に込めてファーストソロアルバム「生涯現役!」を発売。
2018年9月、復活20周年を記念し翔還暦60歳60曲コンサートを戸塚公会堂の40周年に合わせ行ったコンサートはソールドアウト。6時間かけ60曲+αを歌い上げた。
PROFILE

嵐Vo.&Dr.
■誕生日:1955年4月15日(65歳)
■身長:167cm
■血液型:AB型
■趣味:
・YouTubeなどネット動画を見ること。
・競馬(ホワイトフォンテンという馬は忘れられない。)
■特技:料理(特にカレーライス。20代のころレストランで働いていたのでなんでも作れる。)
【40周年に向けて】
お前らみんな歳取ったなあ!まだまだ行くからついて来いよ!

翔Vo.&Gt.
■誕生日:1958年6月8日生まれ(62歳)
■身長:170cm
■血液型:B型
■趣味:
・車、バイク(改造するのが好き。好き過ぎて、車屋をやっていた経験も)
・食べ歩き (どこの何が美味しいと聞くと、そこを目指して行く。食べた事の無いものが食べたい!(笑))
■特技:料理(調理師免許あり)
【40周年に向けて】
独りでは辿り着けない場所でも 最高の仲間が居れば不可能も可能にすることが出来る。
そういう仲間を見極めよう。そして大事にしよう。

JohnnyVo.&Gt.
■誕生日:1958年5月9日生まれ(62歳)
■身長:170cm
■血液型:たぶんO型
■趣味:
・ゴルフ(アベレージは90前後 ベストスコア 81 ハーフベスト 38)
・釣り(ゴルフが好きになる前は、毎週釣りに行っていた。磯釣りメイン。)
・スポーツジム(32歳くらいから30年近く続けている。週2~3回。)
・家庭菜園(毎年いろんな野菜育てている。無農薬で育てているので害虫、病気との闘い。)
■特技:車の運転。体が柔らかい。
【40周年に向けて】
人生って何があるかわからなくて面白いですね。昨年(2018年)の11月までは、まさか自分が又ステージに立つとは全く思っていませんでした。
やるからには真剣にやりますので、 1年間お付き合いしてください。
皆さんにお会いできること楽しみにしています。

TAKUVo.&Ba.
■誕生日:1960年9月22日(59歳)
■身長:180cm
■血液型:B型
■趣味:
・ベースを弾くこと
・スワイショウ
・車中泊
■特技:集中力が高いこと
【40周年に向けて】
やっぱね、“役者が揃う”ってのはこゆことなんだよねって自分自身でも実感できたし、 それをみなさんもきっと楽しんでくれると思うから、今からワクワクしてます。
1980年代に入り、この国の若者たちは新しい価値観との葛藤があった。
校内暴力、暴走族、非行、おちこぼれ、ツッパリ…様々な問題を抱えながらも、バブル景気に向かって、まっしぐらに進もうとしていた。
社会が混沌とする中、「時代の申し子」のように、音楽シーンに突如現れたのが横浜銀蝿だった。
過度なリージェントにサングラス、黒の革ジャン、白いドカン。
誰が見てもヤバイ!どう見てもアウトロー!
しかしながら、彼らから繰り出される音楽は、見かけとは異なり親しみ易いものだった。
ただのシンプルでストレートなロックンロールでもない!みんながハッピーになり、クラスではいつも片隅に追いやられてたヤツ、普段は伏し目がちなコまでもが、明日を生きる勇気とパワーのスイッチがONになった。自分の生き方を発見するようになった。プライドを持てるようにもなった。そんな魔法が横浜銀蝿にはあった。
決して時の流れを否定しない。たとえどんな状況環境にあろうと、自分ファーストで、今を楽しむんだ!そんな「ハピネス・アドバンテージ」(幸福優先)の生き方が、多くの若者に共感を生み支持されたのだ。
1980年9月21日デビュー。1983年12月31日解散まで、一度もブレーキを踏むことなく、前だけを向いて、フルスロットルで走り抜けた。たった3年3カ月の活動だったけど、横浜銀蝿は十分にその役割を果たし終えた。
そして今は「人生100年時代」がやってきて、社会はいくつもの大きな課題を抱えている。「ワークシフト」、「ライフシフト」、経済と文明のパラダイムシフトが始まっている。
そういった時の流れが仕掛けたのだろうか?
昨年末、伝説のツッパリ漫画「今日から俺は!!」がTVドラマ化して大ヒット。その主題歌となった「男の勲章」もリバイバル・ブレイクしてしまった!
あの曲は横浜銀蝿のメンバーJohnnyの作詞作曲によるもので、オリジナルは横浜銀蝿の弟分の嶋大輔が1982年に大ヒットさせた名曲だ。
それがオリジナルを知らない新世代が新しい感性で捉え、歌ったりダンスしたり、超ウケてる姿はとても興味深い。
その現象はプロローグだったのだろうか!?
令和に入り嬉しいニュースが飛び込んで来た。
横浜銀蝿がデビュー40周年を迎えるにあたり、ナント!!オリジナル・メンバーで再結成するというのだ。
しかも新曲でニューアルバムをリリースして、全国ツアーもするという。
「昭和のレジェンドが令和に降臨する!」
2020は東京オリンピックだけではない。
これは面白いコトになるぞ!!
音楽プロデューサー 金森信一
HISTORY
1977
- '77〜'78 横浜銀蝿リーダー嵐、レコード会社、プロダクション等のオーディションを受ける
1978
- 9月 嵐、ユタカプロ社長大坂英之氏と会う
1979
-
9月21日
「ザ・クレイジーライダー 横浜銀蝿 ローリング・スペシャル」正式結成
フジテレビ特別番組「劣等生に捧げるバラード」でテレビ初出演
1980
- 6月 デビュー曲のレコーディングを開始
- 7月18日 「ロックイン'80」(於戸塚公会堂)にゲストとして出演
- 9月21日 キングレコードからシングル「横須賀Baby」、アルバム「ぶっちぎり」、カセット「ぶっちぎり」同時発売
- 10月25日 横浜教育会館でファースト・コンサート
1981
- 10月〜12月 姫路、名古屋、久留米でコンサート
- 1月12日 セカンド・シングル「ツッパリHigh School Rock'nRoll(登校編)」、アルバム・カセット「ぶっちぎりII」発売
- 1月26日 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」初出演
- 2月16日 オリコンアルバムレコード売り上げ部門で「ぶっちぎりII」1位獲得 (ミュージック・リサーチでは2・23付で1位獲得)
- 2月19日 TBSテレビ「ザ・ベストテン」初出演
- 4月6日 TBSラジオ「夜はともだち」のなかで、「横浜銀蝿只今参上」のレギュラー番組開始
- 4月11日 NHKラジオ「午後のロータリー」に出演、「紅白出場宣言」
- 4月13日 NTVテレビ「ザ・トップテン」初出演
- 4月25日 ニッポン放送「オールナイトニッポン」1部でD.J.を担当
- 5月30日 NTVテレビドラマ「池中玄太80キロ」(主演西田敏行)で 横浜銀蝿コンサートの模様を放送
- 6月23日 3枚目のシングル「羯徒毘璐薫'狼琉」を発売
- 7月7日 3枚目のアルバム「仏恥義理蹉䵷怒」発売
- 7月26日 西武球場で行われた「スーパー・フェス・ジャム」に出演
- 7月28日 横浜銀蝿著になる初の単行本「全開バリバリ」出版
- 7月〜8月 北海道、東北、四国にコンサート・ツアー
- 9月7日 初の日本武道館コンサート
-
10月7日
4枚目のシングル 「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」発売
B面「夕立ちRock'n Roll」は松竹映画「北斎漫画」のイメージ・ソングとなる -
10月9日
TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」で翔がD.J.を担当
MBSラジオ「ラジオ・マガジン」で嵐がD.J.担当 - 10月21日 TBSテレビドラマ「茜さんのお弁当」に出演
- 11月5日 東映ドキュメント映画「ぶっちぎり」オリジナル・サウンド・トラック盤発売
- 11月7日 初の映画「ぶっちぎり」全国東映系にて公開
- 11月18日 Johnny初のソロ・シングル「ジェームス・ディーンのように」 (TBSテレビドラマ「茜さんのお弁当」主題歌)発売
- 12月 九州コンサート・ツアー
1982
- 1月30-31日 東京、後楽園ホールにて「ロックンロール・ダンス・パーティー」開催
- 2月24日 5枚目のシングル 「お前サラサラ サーファー・ガール おいらテカテカ ロックン・ローラー」、4枚目のアルバム「ぶっちぎりとっぷ」発売
- 3月16日 2回目の日本武道館コンサート、満タンにする
- 4月11日 横浜市長選挙イメージ・ポスターに選ばれる
- 5月20日 銀蝿一家写真集「銀ばる」出版
- 6月23日 Johnny2枚目のシングル「$百萬BABY」発売
- 7月19日 テレビ朝日「徹子の部屋」出演
- 8月21日 TBSラジオ「横浜銀蝿5段変速」翔D.J.を担当
- 8月31日 愛知県体育館コンサート
- 9月17日 3回目の日本武道館コンサート
- 10月17日 6枚目のシングル「あせかきベソかきRock'n Roll run」
- 11月1日 ミュージック・リサーチ誌において「あせかきベソかきRock'n Roll run」シングル売り上げ1位獲得
- 12月24日 アルバム「ぶっちぎりベスト・コレクション」発売
- 12月31日 銀蝿一家、日本レコード大賞「特別賞」受賞
1983
- 1月6-7日 東京厚生年金会館にて銀蝿一家祭り
- 1月31日 横浜教育会館で「男だけのコンサート」
- 4月3日 横浜文化体育館にて行われた麻薬、覚せい剤追放キャンペーン集会、「若人とライオンズ」(主催ライオンズ・クラブ)にゲスト出演
- 4月10日 嵐著になる「散りぎわ死にぎわ不良少年のすすめ」出版
- 5月16日 中曽根総理大臣主催「昭和57年度芸術文化に活躍された人々との懇親の集い」(於首相官邸)に招待される
- 5月18日 Johnnyファースト・ソロ・アルバム「Highway Dancer」、 3枚目シングル「みにくいアヒルの子」発売
- 6月〜7月 銀蝿一家祭、福岡、宮城、東京で行う
- 7月27日 7枚目のシングル「おまえにピタッ!」発売、カネボウ化粧品秋のキャンペーン・ソングとなる
- 8月19日 5枚目のアルバム「ぶっちぎりV」(通算7枚目)発売
- 8月26日 最後のコンサート・ツアー「It's Only Rock'n Roll集会ファイナル・カウント9」渋谷公会堂よりスタート
- 9月 九州ツアー
- 10月 東北、関東、関西ツアー
- 11月5日 横浜文化体育館コンサート
- 11月6日 横浜銀蝿写真集「やめ。」出版
- 11月17日 沖縄市営体育館コンサート
- 12月2日 横浜銀蝿著単行本「あ・ば・よ」出版
- 12月5日 ファイナル・シングル「哀愁のワインディング・ロード」(通算8枚目)、 6枚目のオリジナル・アルバム「ぶっちぎりR」(通算8枚目)発売
- 12月15日 渋谷公会堂、新宿厚生年金会館で行われた「銀蝿一家祭」のライブ・レコード発売
- 12月19-24日 関西、中部地区ツアー
- 12月24日 アルバム「ぶっちぎりベスト・コレクションVol.2」(通算9枚目)発売
- 12月31日 最後のコンサート「新宿コマ劇場」で行う。完全燃焼
1990
- 5月21日 デビュー10周年を記念して、オリジナルを一挙CD化開始。CD2枚組「オリジナル1」「オリジナル2」発売
- 9月21日 第II期として「オリジナル3」「オリジナル4」発売
2019
-
9月9日
“オリジナルメンバー4人による完全復活”情報解禁
横浜銀蝿40th プロジェクト、スタート